王国の視点
天の御国の視点である。この視点は、私たちだけの視点ではなく、神の視点から物事を考える。それはしばしば、永遠の視点から物事を考えることを意味する。イエスは地上におられた時、一般的な物事や状況をどのように天の御国の視点から考察されたかを示された。以下はその例である:
食べ物と飲み物:肉体的には食べ物と飲み物が必要だが、イエスと父のみこころを行なうことも必要だ(ヨハネ4:13-34、6:55-59)
疲れ:肉体的には睡眠が必要だが、魂の休息も必要だ。イエスのうちに私たちは休息を見出すことができる(マタイ11:28-30)
誘惑:私たちは誘惑に駆られるが、すべての誘惑は、それが何らかの形で私たちの欲望を満たしてくれるという嘘から生まれる。満足させることができるのは神だけだ。真理は嘘に対抗する唯一の方法である(マタイ4:1-11)
苦難:苦難は必ず起こる。イエスは園の中で、これから起こることに苦悩し、血の汗を流された。イエスは、これから起こることを経験したくはなかったが、それでもそのようにされた。イエスは、神の視点から物事を見て、永遠に考えておられたからです(ルカ22:40-46、ヘブル12:2)。
私たち自身:神が私たちをどのように見ておられるかを知ることは、本当に大切なことだ。自分自身が愛され、受け入れられ、清く、正しい存在であることを知ることで、人生をよく生きることができる(エペソ3:18、ホセア4:6)。
永遠の視点
王国の視点を持つもう一つの方法は、永遠に考えることだ。私たちが地上にいる間に何をし、何を言うかは、永遠に重要であり、私たちが新しい天と新しい地でどのように生きるかも重要である(ルカ6:23、19:15-19、マタイ6:4-6、16:27、黙示録22:12)。この地上での私たちの時間に関して、永遠の意味を把握することは有益である。この点を理解するために、私たちの人生の何パーセントがこの地上で費やされるかを示す以下の方程式を検討する:
100は私たちがこの地上で生きる期間を表し、この場合は100年である。変数xは、私たちが新しい地上と新しい天国で過ごす時間を表している。この方程式の結果、私たちの人生のうち地上で過ごす時間は実質的に0%ということになる!しかし、この些細な時間が永遠に重要なのだ!