悪魔の罠

敵は人々の善意をもてあそぶのが好きだ。神の御声を聞き、正しいことをしようと意気込んで始めたクリスチャンが、「ロボット」の罠にかかることがある。敵は、神の御声を聞きたいという願望を利用して、その人がなすべきことを語ろうとする。この語りかけはしばしば何らかの形の「声」であるが、そうである必要はない。最初は、クリスチャンの信頼を得ようと、少量の語りかけや些細な仕事から始まる。やがてクリスチャンは、「何かを聞いたときだけ何かをする」というような考え方に陥る。 

これを打ち破る簡単な方法は、"声 "に対して権威を持ち、それを無視して決断することだ!あなたには自由意志があり、正しい決断を下すことができる!あなたは新しい被造物なのだ!あなたにはキリストの心がある!声」を聞かなくても、神の御心に従って考え、行動することができる。これは信仰によって生きることの一部である。しかし、神は霊であり、あなたの内に住んでおられる。聖霊が声という形で語るとき、それはあなたの霊を通してであり、あなたが心の中で自分に何かを言ったように聞こえるだろう!(ローマ8:16、創世記1:7、2:15-17、ガラテヤ2:20、ヤコブ1:5)。 

この裏返しとして、「何でもする」という罠がある。自分の義をよく理解し、神が祝福と繁栄を望んでおられることを理解しているクリスチャンも、この罠にかかることがある。その結果、世の欲望や敵の誘惑に巻き込まれ、単に良いと思うことを何でもしてしまうのだ。これは一般的に、基本的な識別力を働かせず、祈らず、聖書をチェックせず、決断について尋ねないことから起こる。主な問題は、イエスとの親密さの欠如である(ヤコブ1:27、第一ヨハネ2:17、ヨハネ15:4-5、箴言3:5-6、第二テモテ3:16-17)。