クリスチャンの存在の状態の類似性

クリスチャンの存在の状態の類似性

刑務所の例え

イエスに従う前の私たちは、罪の性質、あるいは敵の囚人である。牢獄に閉じ込められ、自力で脱出する術はない。イエスと出会い、イエスを救い主、王として受け入れると、牢獄の扉は開かれ、私たちは自由になる!問題は、私たちがまだ牢獄にいると思ったり信じたりして、鍵のかかっていないドアから出られないことがあることだ。もう一つの問題は、敵に説得されて牢獄に戻ることもあれば、この世のものに誘惑されて自分でそうしてしまうことだ。私たちは、牢獄の扉には二度と鍵がかからないことを知らない!私たちは、十字架の完成した御業のゆえに、そしてただ真理を信じることによって、そこから出ることができるのだ(ヨハネ8:31-36、2コリント3:17、1ペテロ2:16-17、ローマ6:18)。                      

衣服と身体の類似性

イエスを信じる前の私たちの状態は、壊れて傷ついた体、ぼろぼろに破れた衣服と表現できる。 信じた後、私たちは真っ白な服を着た明るく輝く新しい体を手に入れる。これがイエスにある新しい命であり、あなたが今持っている自由です。問題は、時に私たちは何らかの嘘を信じたり、何らかの罪を犯そうと決めたりすることだ。その結果、ぼろぼろに破れた服(古い自分)を新しい服の上に着ることになる。そうすると、私たちは新しくも自由でもないように見えてしまう。私たちはまだ自由であり、ただ、ボロボロの服が間違っていることを告白する(悔い改める)ことによって、ボロボロの服を脱ぐ必要があるだけなのだ(黙示録、コロサイ3:9-10、エペソ4:22-24、ローマ6:18、使徒13:39)。  

悪魔の影響

人の肉体は家と見なすことができる。私たちの家には物が出入りする。誰かがイエスを信じる時、イエスは聖霊によってやって来て、その人の中に家を作り、その人の霊と一体化する。時に人は、罪や悪霊のような他の存在を家に招き入れることがある。罪や悪霊が存在すると、彼らは家の中を暗くしたり荒らしたりして問題を引き起こす。また、家にいる人を操ることもある。彼らは追い出される必要がある。問題は、イエスがそこに住んでいないか、イエスがその空いたスペースに招かれていないか、その空いたスペースが真理で満たされていない場合、その実体や嘘はただ戻ってくるだけだということだ(創世記4:7、マタイ12:22-44、21:12-17)。